日本食のルーツを知ろう!
日本食ブームですね。
健康的で美的。懐石料理や会席料理、精進料理などは日本人でも普段の食事としている人は少ないと思いますが、和食のイメージとして浮かびますし、日本人としては誇れるものです。
ところで日本人って昔は何を食べていたのでしょうか?
今日はちょっと時代の順に見ていきたいと思います。
縄文時代
主食はどんぐり、クリ、トチなどの木の実で、他に狩猟によって鹿、イノシシ、魚などを食べていました。
弥生時代
稲作が広まり主食が米に変わりました。他にも粟や稗や小豆なども食べられました。
奈良時代
貧富の差が大きくなってきた時代です。
貴族の主食は米で、おかずには野菜、肉・魚が使われ豪華でしたが、庶民は雑穀が主食で、おかずもほとんどただの汁や塩だけでした。
しかし675年 天武天皇の殺生・肉食禁止令が出され、肉が食べられなくなり、貴族も肉食をやめなければなりませんでした。そのような流れの中で、この時代に精進料理の原型が生まれました。
平安時代
貴族の主食は米で、おかずもますます豪華となりました。それから料理の見た目や盛り付けにも美しさを求めるようになり、今の日本料理の美しさを大切にする原点になったようです。
一部の上流階級では乳製品も取り入れられるようになりました。
鎌倉・室町時代
武士の食事は質素でしたが、狩猟が再開され、肉も食べていたそうです。
次第に貴族にも再びその風潮が広まり、肉も取り入れられるようになりました。
安土桃山時代
海外から知らない食べ物が入ってくるようになりました。
また、調理法に油で揚げることが加わり、食事内容も変わっていきました。
そして茶の湯が流行し懐石料理ができました。
江戸時代
これまでは1日2食が主流でしたが、この時代から庶民の間でも1日3食を食べられる人が増えていきました。
都市部では米が多く食べられ、田舎では雑穀や野菜も食べられていました。
明治時代
ライスカレー、オムライスなどの洋食が生まれました。
明治天皇が肉を食べたことから、このときから肉食の禁が解かれたとされています。調味料が増えました。
大正・昭和時代
洋食を外食で食べることが庶民に広まっていきました。
さらに家庭でも庶民の食事として定着していきました。電化製品も普及してきて調理方法が格段に進歩しました。
終わりに
現代の1日3食、和洋折衷、白飯が主食、懐石料理、精進料理。
どれも歴史で見ると割と新しい文化なのですね。
農耕の変化や海外からの影響、貧富の差、天皇の勅語など様々なことが作用して日本食が形成され、今なお変化し続けています。
健康志向の強まっている現代では、日本食が注目されています。
良いところは変わらないでいてほしいですね。